お花見のマナー
そろそろお花見の季節がやってきますね。お花見というと、大半の人が桜の木の下でお酒や食事を持ち寄って、宴会を行う事でしょう。お酒は適度に飲む分には良いですが、なぜか花見の席ではお酒に飲まれて暴れてしまうと言う人を見かけることがあります。
梅は神木、桜は魔性という言葉があるように、魔物たちも桜のあまりの美しさに惹かれてしまうそうです。そんな桜を見ながらのお花見では、人間も魔性に取り付かれてお酒に酔ってしまうのでしょうか。お花見にもマナーがあり、これらは桜を守るためや、周りの人に迷惑をかけない為など理由があります。
桜はとても繊細で傷みやすい植物ですので、ちょっとした傷などでも枯れてしまいます。花見に来られなかった人の為に枝を持ち帰ろうなんてのは、言語道断です。また桜吹雪を見るためにわざと木を揺らしたり、飲み残した物を木の根元に流すなども桜が腐ったり、枯れたりする原因になります。
お酒が入ってしまうと、こういった普段は何ともないマナーが出来ない人がいますので、お花見の席ではお酒は程ほどにして参加されると良いのではないでしょうか。もともとお花見とは、自然のままに桜を見て楽しむ事ですし、お酒を飲むのが目的ではありません。
お花見の意味を履き違える事のないように、美しい桜を鑑賞してみてはいかがでしょうか。そうする事で、桜を守ることもでき、他の花見をしている人に迷惑をかけることなく、季節の移り変わりを楽しむ事ができるのではないかと思います。
花見弁当
花見の時期になると、色々なお店で花見弁当が販売されます。また花見弁当を自分で作ると言う人も多いでしょう。花見弁当には、痛みにくく食べやすい物、見栄えが良く持ち運びやすいものなど特徴があります。またお花見弁当と言う事で、春の食材を用いたり、桜を連想させるようなピンク色の食材を用いたりするのも見栄えが良い弁当と言えるでしょう。
また、お酒を飲む人もいるため、居酒屋メニューのような揚げ物なども人気のお弁当メニューだそうです。花見弁当にはちらし寿司やお稲荷さん、炊き込みご飯といった和風のものも定番ですが、サンドイッチやパスタなどの洋食メニューも意外と人気があるようです。大勢でお花見をする時には、オードブル形式にして食べるの楽しそうですよね。
普段は、あまりお金をかけない人でもお花見弁当という特別なお弁当であれば、少しくらい値の張る豪華なものを口にするのも悪くありませんよね。お花見の時期になると、百貨店などでも豪華な花見弁当を販売します。これは予約が必要な事が多いですが、普段は味わえない春の食材をふんだんに使いプロの料理人の手によって作られた豪華な花見弁当を、桜を見ながら食べると言うのもお通なものではないでしょうか。
安いものであれば1個1000円程度から高いものでは1万円以上といった豪華な花見弁当まで、色々と取り揃えている百貨店もありますので、是非花見の機会に、1度くらい贅沢をしてみてはいかがでしょうか。
夜桜でお花見を
桜は昼間もきれいですが、夜にはまた違った綺麗さがあります。昔は淡い月明かりや提灯の灯りに照らされた闇夜に薄っすらと浮かび上がる夜桜を楽しんでいたようですが、近年では人工的にライトアップされ、光りの芸術と思えるほどに艶やかに花びら照らします。
桜の名所や、お花見が行われる公園などでは、お花見の時期に合わせてライトアップを行い、夜桜を楽しむ事もできます。このように夜に花を観賞するのは、桜だけの独特の習慣だそうです。その為か、夜桜見物でのお花見ではお酒が振舞われ、宴会のようになるケースも少なくありません。
同じ桜でも、昼間と夜では異なった風情を出すため、わざわざ夜に桜を見に出かけると言う人も多いそうです。上野恩賜公園では夜桜見物のために、夜になると桜がライトアップされます。さらにそのライトアップされた桜が不忍池に映し出される様はとても幻想的なものだそうです。
桜の名所ではありませんが、神田川や目黒川などでも水辺に移る夜桜が綺麗なスポットだと言われています。また、夜桜を楽しむ為の屋形船なども運航されているスポットもあり、船から夜桜を楽しむ事もできます。
昔から知られる三大夜桜名所としては、青森県「弘前公園」、新潟県「高田公園」、東京都「上野恩賜公園」が知られますが、今では全国に魅力的な夜桜名所が数多く誕生しています。貴方の地元にも人知れず咲き誇る夜桜スポットがあるかもしれませんね。
花見の歴史
花見とは主に花を鑑賞し、春の訪れを寿ぐ慣習であり、日本の場合多くは開花した桜の下で行われる宴会のことを指します。お花見の歴史を見てみると、花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われています。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていましたが、平安時代に桜と変わってきたそうです。
その存在感の移り変わりは歌にも現れています。万葉集において桜を詠んだ歌は40首、梅を詠んだ歌は100首程度ですが、平安時代の古今和歌集ではその数が逆転しています。またこの頃から花といえば桜を意味するようになったそうです。
日本後紀によると、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にて「花宴の説」を催したのが記録に残る最初の桜の花見だとの説があります。831年(天長8年)から場所は宮中に移り、天皇主催の定例行事として取り入れられていきました。
吉田兼好の徒然草には貴族風の花見とそうでない田舎ぶりの花見の違いが説かれており、室町初期には地方の武士階級にも花見の宴は行われていたことが伺えます。織豊期には野外に出て花見をしたことが、絵画資料から確認されます。この時期のもっとも大規模な花見は豊臣秀吉の醍醐の花見だと言われています。
花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれています。明治・大正時代には多くの桜が絶滅したといわれていますが、その反面保存活動も行われており、新たな名所ができたそうです。
歴史を紐解いてみると、花見の起源は桜ではなく梅だったことや、貴族から武家、庶民へと花見が形態を変えて移り変わっていく様がわかりますね。お花見の際にはこういった歴史の上で花見と言うものができた事を思いながら、桜を見るのも悪くないかもしれませんね。